ホットホリデー 世界遺産 中国 殷墟 甲骨文字 中国 文化遺産 2006年登録 menu1 1 この世界遺産のポイント ・中国最古の王朝「殷」の都市遺跡 ・殷時代後期・盤庚の時代に首都が置かれた場所 ・王族の墓、甲骨文字、青銅器などを発掘 殷墟(いんきょ)は、紀元前14~11世紀に、中国最古の王朝・殷の首都が置かれていた場所です。第19代国王・盤庚(ばんこう)が紀元前1300年頃に首都を殷墟に遷都して以降、殷が滅亡する紀元前1046年まで首都として繁栄しました。19世紀に安陽市小屯で甲骨文字が発見されたことから大規模な発掘調査に発展し、都市遺跡の発見につながりました。 遺跡からは、集落跡、王族の地下墓地、埋葬品、甲骨文字、青銅器などが発掘されています。第23代国王妃の墓(婦好墓)は、唯一完全な形で残る王族の墓として評価されています。また、地下墓地から出土した埋葬品の中には、重量875キロの世界最大の青銅器「司母戊鼎(こうぼぼてい)」もあり、装飾技術の高さから高度な文明であったことが伺えます。遺跡から発見された甲骨文字は牛の骨や亀の腹甲などに刻まれており、当時の神託(占い)に用いられたと考えられています。甲骨文字は世界最古の文字のひとつであり、中国における宗教信仰や社会のシステムを紐解くのに重要な遺産です。甲骨文字の解読によって、都市遺跡が殷の時代のものであることの証明となりました。 menu2 2 歴史・成り立ち 紀元前17世紀頃 殷王朝の開始。 紀元前1300年頃~紀元前1046年(殷王朝後期) 現在の「殷墟」が首都となる。(第19代国王・盤庚) 1899年 甲骨文字の発見。 1928年 発掘調査の開始。遺跡の発見。 2006年 世界遺産に登録。 menu3 3 アクセス 日本から新鄭(しんてい)までは直行便で約4時間30分。新鄭から観光拠点の安陽まではバスで約3時間です。 menu4 4 ご存じでしたか? ・殷王朝の「殷」は、次に続く周王朝の時代に決められた呼び方であり、遺跡からは殷の記載は見つかっていません。遺跡から発見された殷時代後期の甲骨文字には「商」と記載があることから、この一帯が商と呼ばれていたことがわかっており、商王朝とも呼ばれます。 ・殷墟からは城壁の跡が見つかっていないことから、首都ではなく王族の墓としての使用が目的だった可能性もあります。 menu5 5 映画・テレビ撮影の舞台に ・封神演義:映画ではありませんが、殷から周に移る時代の歴史を記した中国の古典文学です。実在の登場人物もいます。 1. この世界遺産のポイント 2. 歴史・成り立ち 3. アクセス 4. ご存じでしたか? 5. 映画・テレビ撮影の舞台に 営業時間&サポートについて 新型コロナウイルス感染症以降、営業時間を短縮し、電話での予約・お問い合わせの受付けを停止いたします。ご迷惑をおかけいたしますが、ご質問などはお問い合わせフォームより送信ください。 営業時間 平日(月~金曜日) 9:00~12:00 お問い合わせフォーム
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