ホットホリデー 世界遺産 南アフリカ ロベン島 ロベン島 ロベン島 南アフリカ 文化遺産 1999年登録 menu1 1 この世界遺産のポイント ・囚人たちが自由獲得を目指した「苦闘の大学」 ・ネルソン・マンデラ元大統領が収容された刑務所 ・アパルトヘイト政策の記憶を後世に残す「負の遺産」 ロベン島はケープタウンの沖合いに浮かぶ島であり、アパルトヘイト政策を残す負の遺産です。アパルトヘイトとは1948年から1994年まで南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策のことで、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味します。白人以外の人種の政治・社会的権利を奪うなど、人種差別が国家公認で行われていました。ロベン島の監獄は脱走困難な立地で知られ、監獄島と呼ばれました。ネルソン・マンデラ元大統領を始め、ウォルター・シスル、ゴヴァン・ムベキ、アーメッド・カスラダなど、アパルトヘイト制作に反対したことで政治犯とされた人々が収容されており、「苦闘の大学」などとも呼ばれます。 ネルソン・マンデラ元大統領は、反アパルトヘイト活動を行う「アフリカ民族会議」「南アフリカ・インド人会議」に属しており、黒人解放運動を指導していたことから、反逆罪としてロベン島の刑務所に約22年間拘束されました。長期間にわたる刑務所生活の中でも、決して自由獲得への希望を捨てなかったといいます。解放後には南アフリカ共和国の大統領に就任し、アパルトヘイト政策を廃止を達成したことでノーベル平和賞も受賞しています。ラグビーを南アフリカ共和国の発展の軸として推奨するなど、一生をかけて人種差別のない国作りを目指しました。 menu2 2 歴史・成り立ち 1944年 ネルソン・マンデラが政党「アフリカ民族会議」に入党。 反アパルトヘイト運動を行う。 1948年 国民党によるアパルトヘイトの本格始動。 1962年 ネルソン・マンデラの逮捕。 1990年 ネルソン・マンデラの釈放。 1994年 ネルソン・マンデラが大統領に就任。 アパルトヘイトの廃止。 1999年 世界遺産に登録。 menu3 3 アクセス 日本から各国経由便でケープタウンまでは約20~25時間です。ケープタウンのビクトリア&アルフレッド・ウォーターフロント(ネルソン・マンデラ・ゲートウェイ)からフェリーで約30分です。 menu4 4 合格Tips! 世界遺産検定 ・アパルトヘイト ・ネルソン・マンデラ menu5 5 合格Tips! 旅行業務取扱管理者試験 ・ケープタウン国際空港の3コードレターは「CPT」です。 ・南アフリカ航空の航空会社コードは「SA」です。 ・ケープタウンの日本との時差は-7時間、サマータイムはありません。 menu6 6 ご存じでしたか? ・アパルトヘイト以前から人種隔離に対する法律は存在しており、鉱山の労働者を法的に確保するため、アパルトヘイトの政策が加速しました。 ・ロベン島では、刑務所を実際に訪問することができます。ネルソン・マンデラが約20年間過ごした独房や、囚人用のサッカー場などが見どころです。 menu7 7 映画・テレビ撮影の舞台に ・映画「マンデラの名もなき看守 」(2007年) ・映画「インビクタス/ 負けざる者たち」(2009年) ・映画「マンデラ 自由への長い道」(2013年) menu8 8 絶対食べたい!ローカルグルメ 【南アフリカ】 ・ボボティー:ひき肉と卵のオーブン焼き。 ・ポイキ:肉、野菜の煮込み料理。 ・ブライ:南アフリカ流バーベキュー。 ・ボーアウォース:ソーセージ。 ・ミルクタルト:ミルクたっぷりのカスタードタルト。 ・コークシスター:ドーナツにシュガーシロップを付けたもの。 1. この世界遺産のポイント 2. 歴史・成り立ち 3. アクセス 4. 合格Tips! 世界遺産検定 5. 合格Tips! 旅行業務取扱管理者試験 6. ご存じでしたか? 7. 映画・テレビ撮影の舞台に 8. 絶対食べたい!ローカルグルメ 営業時間&サポートについて 新型コロナウイルス感染症以降、営業時間を短縮し、電話での予約・お問い合わせの受付けを停止いたします。ご迷惑をおかけいたしますが、ご質問などはお問い合わせフォームより送信ください。 営業時間 平日(月~金曜日) 9:00~12:00 お問い合わせフォーム
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