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法隆寺地域の仏教建造物
日本国内、奈良
文化遺産 1993年登録
文化遺産 1993年登録
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この世界遺産のポイント
・法隆寺地域の仏教建造物は法隆寺と法起寺の2つの資産から構成
・法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟
・「エンタシス」と呼ばれる、古代ギリシャで使われた建築技法を使用
聖徳太子(厩戸王)ゆかりの地、法隆寺地域の仏教建造物は、法隆寺と法起寺の2つの資産から構成され、法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれます。そのうち法隆寺西院の金堂・五重塔・中門・回廊・法起寺三重塔などの8世紀以前の建造物の11棟は世界最古の木造建造物で、世界的に有名です。境内の建築物の配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれ、中門から左右にのびる回廊が左右に並んだ講堂・金堂を取り囲み、奥に講堂を持つ配置となっています。
法隆寺地域の仏教建築物からは、仏教伝来初期の日本が、中国や東アジアの建築上の影響が受けたと想定される歴史が学べます。特に、「エンタシス」と呼ばれる、古代ギリシャのパルテノン神殿で使われた、中央から下部にかけて膨らんだずっしりと太い柱を見ることができ、日本独自の建築様式を確立した木造建築の傑作と言われています。建築物だけでなく、伽藍配置においても、ち密に計算されており、芸術的価値が認められています。1993年、姫路城、屋久島、白神山地とともに日本初の世界遺産として登録されました。
【主な構成遺産】
1)法隆寺:7世紀初頭に奈良県生駒郡斑鳩町に聖徳太子と推古天皇が創建したといわれています。法隆寺の中心となっているのは金堂、五重塔、仁王像のある中門、回廊を中心とする西院伽藍。八角形の夢殿を中心に「礼堂」「絵殿」「舎利殿」「伝法堂」が建つ東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった「斑鳩宮」の跡に高僧の行信が聖徳太子をしのんで建立されました。五重塔、門、お堂が点在しており、構成資産は15.03ヘクタール、緩衝地帯は571ヘクタール。境内の広さは約18万7千平方メートル。境内にある国宝、重要文化財は合計約190件もあり、その数は2300点を超えると言われています。何度も火災に見舞われ、修復、再建が繰り返されました。
・夢殿に安置されている「救世観音像」は秘仏です。1884年、アメリカ人で東洋美術史家のアーネストフェノロサによって調査されました。
・法隆寺西院の本堂とされる金堂「釈迦三尊像」は聖徳太子ために造られたと言われていて見事な彫刻をみることができます。法隆寺は現存する世界最古の木造建築物群ですが、その中でも金堂は最古の建築物にあたります。
・法隆寺東院にある大宝蔵院では、「百済観音像」や多くの国宝を見学できます。
・法隆寺金堂壁画は日本で最も古い絵画のひとつ「阿弥陀浄土図」は世界各国の人々から称賛されています。
・国宝「百済観音」は古代の仏像のなかでも特に人気が高く、中国、インドの影響がみられます。
2)法起寺:638年創建、706年に完成。聖徳太子が法華経を講説した岡本宮の跡地で山背大兄王が寺にしたと言われています。創建当時のまま、高さ24メートルある三重塔は日本最古で国宝に指定され、飛鳥時代の特徴が見受けられます。法起寺は奈良時代には栄えましたが、平安時代には法隆寺の傘下に入り徐々に衰退し、江戸時代初期には三重塔を残すのみになりました。その後、真政圓忍たちが、三重塔を修復し、本堂、鐘桜、金堂などを再建。聖天堂を建立し、伽藍を整えました。聖徳宗の寺であり、昔は岡本寺、池後寺などとも呼ばれていたといいます。平安時代に造られた本尊の木造の十一面観音菩薩立像は見事です。
法隆寺地域の仏教建築物からは、仏教伝来初期の日本が、中国や東アジアの建築上の影響が受けたと想定される歴史が学べます。特に、「エンタシス」と呼ばれる、古代ギリシャのパルテノン神殿で使われた、中央から下部にかけて膨らんだずっしりと太い柱を見ることができ、日本独自の建築様式を確立した木造建築の傑作と言われています。建築物だけでなく、伽藍配置においても、ち密に計算されており、芸術的価値が認められています。1993年、姫路城、屋久島、白神山地とともに日本初の世界遺産として登録されました。
【主な構成遺産】
1)法隆寺:7世紀初頭に奈良県生駒郡斑鳩町に聖徳太子と推古天皇が創建したといわれています。法隆寺の中心となっているのは金堂、五重塔、仁王像のある中門、回廊を中心とする西院伽藍。八角形の夢殿を中心に「礼堂」「絵殿」「舎利殿」「伝法堂」が建つ東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった「斑鳩宮」の跡に高僧の行信が聖徳太子をしのんで建立されました。五重塔、門、お堂が点在しており、構成資産は15.03ヘクタール、緩衝地帯は571ヘクタール。境内の広さは約18万7千平方メートル。境内にある国宝、重要文化財は合計約190件もあり、その数は2300点を超えると言われています。何度も火災に見舞われ、修復、再建が繰り返されました。
・夢殿に安置されている「救世観音像」は秘仏です。1884年、アメリカ人で東洋美術史家のアーネストフェノロサによって調査されました。
・法隆寺西院の本堂とされる金堂「釈迦三尊像」は聖徳太子ために造られたと言われていて見事な彫刻をみることができます。法隆寺は現存する世界最古の木造建築物群ですが、その中でも金堂は最古の建築物にあたります。
・法隆寺東院にある大宝蔵院では、「百済観音像」や多くの国宝を見学できます。
・法隆寺金堂壁画は日本で最も古い絵画のひとつ「阿弥陀浄土図」は世界各国の人々から称賛されています。
・国宝「百済観音」は古代の仏像のなかでも特に人気が高く、中国、インドの影響がみられます。
2)法起寺:638年創建、706年に完成。聖徳太子が法華経を講説した岡本宮の跡地で山背大兄王が寺にしたと言われています。創建当時のまま、高さ24メートルある三重塔は日本最古で国宝に指定され、飛鳥時代の特徴が見受けられます。法起寺は奈良時代には栄えましたが、平安時代には法隆寺の傘下に入り徐々に衰退し、江戸時代初期には三重塔を残すのみになりました。その後、真政圓忍たちが、三重塔を修復し、本堂、鐘桜、金堂などを再建。聖天堂を建立し、伽藍を整えました。聖徳宗の寺であり、昔は岡本寺、池後寺などとも呼ばれていたといいます。平安時代に造られた本尊の木造の十一面観音菩薩立像は見事です。
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歴史・成り立ち
607年
法隆寺の起源になる若草伽藍を聖徳太子が建立
638年
福亮僧正により法起寺の金堂が建立
670年
若草伽藍焼失(遺構は境内の地下に若草伽藍跡として残る)
685年
恵施僧正が法起寺の宝塔の建立を発願し後に建設
7世紀後半から8世紀初頭
西院伽藍が建立
708年
法起寺三重塔建立
925年
法隆寺西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失
990年
法隆寺大講堂再建
1678年
法起寺三重塔を修復
1694年
法起寺講堂を再建
1863年
法起寺聖天堂を建立し、伽藍を整える
1868年
神仏分離令で法隆寺衰退
1897年
古社寺保存法が制定
1916年
法隆寺壁画保存方法調査委員会設置
1934年
法隆寺、昭和の大修理と呼ばれる修復作業がされ金堂、五重塔などが修理
1949年
解体修理中の金堂で火災発生、壁画の大半を焼損
1950年
文化財保護法制定
1955年
文化財防火デー制定
1993年
世界遺産登録決定
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アクセス
【大阪からのアクセス】
大阪(JR環状線)→天王寺(JR関西本線)→法隆寺(路線バス5分)→法隆寺門前
【法起寺:最寄り駅からのアクセス】
近鉄 郡山駅 法起寺経由法隆寺前行バス「法起寺」下車 すぐ
JR・近鉄 王寺駅 奈良行バス「法起寺口」下車 徒歩10分
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動画
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合格Tips! 世界遺産検定
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合格Tips!
旅行業務取扱管理者試験
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ご存じでしたか?
・法隆寺の起源になる寺を建てた人は推古天皇と誰? →☆厩戸王(聖徳太子)
・法隆寺の回廊の円柱に使われている建築技法は? →☆エンタシス
・法隆寺西院の伽藍配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれている五重塔に対し金堂はどの方角にあるか →☆東
・法隆寺の回廊の円柱に使われている建築技法は? →☆エンタシス
・法隆寺西院の伽藍配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれている五重塔に対し金堂はどの方角にあるか →☆東
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映画・テレビ撮影の舞台に
・映画「月は上りぬ」(1955年)
・映画「月下の若武者」(1957年)
・映画「法隆寺」(1958年)
・映画「人形の歌」(1959年)
・映画「帰郷」(2019年)
・映画「月下の若武者」(1957年)
・映画「法隆寺」(1958年)
・映画「人形の歌」(1959年)
・映画「帰郷」(2019年)
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ここでしか見られない
動植物・固有種
・イカルなど。
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絶対食べたい!ローカルグルメ
・みたらし団子
・柿ソフトクリーム
・柿の葉寿司
・くず餅
・竜田揚げ
・柿ソフトクリーム
・柿の葉寿司
・くず餅
・竜田揚げ
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