ホットホリデー 世界遺産 ジンバブエ 大ジンバブエ国立記念物 ジンバブエ 文化遺産 1986年登録 menu1 1 この世界遺産のポイント ・ジンバブエの国名の由来となった世界遺産 ・古代アフリカ人の造った高度な文明跡 ・サバンナの草むらに現れる巨大な石造建築遺跡 グレートジンバブエ遺跡は、ジンバブエの首都ハラレから南方300kmにあるジンバブエ高原に位置し、サビ川上流の標高約1,000mのサバンナの中に、岩のブロックを積み上げて造られた石造建築遺跡です。鉄器や金細工も出土しており、古代アフリカ人によって作られ、高度な技術や文明が存在した証拠とされています。ジンバブエとは、ショナ語で「石の家」という意味で、ジンバブエ共和国という国名は、グレート・ジンバブエ遺跡に由来しています。 遺跡の発見当時は、アフリカ人に対して偏見的な差別があったため、アフリカ人が築いた文明とは考えられず、フェニキア人やギリシャ人などの古代の文明により築かれたとする説などが定説でした。20世紀に詳細な考古学調査が行われた結果、東西1.5km、南北1.5kmにも及ぶ巨大な石造遺跡は、13~15世紀頃の現地住民であるショナ族により築かれたことが判明しました。欧米諸国による植民地化以前の歴史が見られる、アフリカの歴史において大変貴重な文化遺産です。 【見どころ、3つのエリア】 ・アクロポリス:グレートジンバブエの北側の小高い丘にあり、東側で宗教的儀式、西側で政治が行われていたとされています。政教一致の施策がとられていました。ヨーロッパ人がギリシャの都市国家をイメージしてアクロポリスと呼びました。 ・谷の遺跡:ショナ人たちの石造住居跡で、位置的に高い土地には王や身分の高い者、下の方には庶民が住んでいました。 ・大囲壁:10mの高さの石の壁が囲うエリアでグレート・エンクロージャーと呼ばれる。神殿のような扱いだったといわれています。 menu2 2 歴史・成り立ち 紀元前2500年 この頃からショナ族が暮らす 6世紀 有力支配者が現れ、石造建築がはじまったと考えられる 9世紀 インド洋交易の中継地として急速に発展する 15世紀 急激な発展と人口の急増から燃料や食料の確保ができなくなったため住民が居住を放棄 19世紀 遺跡として発見され初期調査が行われるが、まだ詳細不明 menu3 3 アクセス ジンバブエの首都ハラレから、グレート・ジンバブエの最寄りの町「マシンゴ」までバスで5時間、マシンゴからは乗合バスで30分程でグレート・ジンバブエホテルまで行く。そこからグレート・ジンバブエまでは徒歩で30分程。ツアーに参加せず個人で行く場合は、行きの乗合バスを帰りの時間にあわせ手配しておいた方が良い。 menu4 4 合格Tips! 世界遺産検定 ・石の家 ・アクロポリス ・ショナ族 menu5 5 合格Tips! 旅行業務取扱管理者試験 ・ハラレ国際空港の3コードレターは「HRE」です。 ・ジンバブエの日本との時差は-7時間、サマータイムはありません。 menu6 6 ご存じでしたか? ・アサヒビールのアサヒグループ東京本社ビル隣に建つ、スーパードライホールの金色の雲の土台の黒い石は、「ジンバブエブラック」という石でできています。ジンバブエが産地のジンバブエブラックは建築用黒御影石の一つで、模様なしの漆黒の石です。 menu7 7 映画・テレビ撮影の舞台に ・映画「ワールド・アパート」:1987年、イギリスとジンバブエによって制作された映画。第41回カンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリ。英国アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。 アパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国において、反アパルトヘイト活動家の白人の両親の下に生まれた少女が、黒人の家政婦と心を通わせながらそれまで関心のなかったアパルトヘイトの制度に疑問を抱いていくというストーリー。公開当時はまだネルソン・マンデラも獄中にあり、人種差別が根強く残る時代であった中で実体験をもとにつくられた話題作。 menu8 8 絶対食べたい!ローカルグルメ ・サザ:とうもろこし(メイズ)の粉で作った練り粥。 ・ワワ:とうもろこしで作ったビール。 1. この世界遺産のポイント 2. 歴史・成り立ち 3. アクセス 4. 合格Tips! 世界遺産検定 5. 合格Tips! 旅行業務取扱管理者試験 6. ご存じでしたか? 7. 映画・テレビ撮影の舞台に 8. 絶対食べたい!ローカルグルメ 営業時間&サポートについて 新型コロナウイルス感染症以降、営業時間を短縮し、電話での予約・お問い合わせの受付けを停止いたします。ご迷惑をおかけいたしますが、ご質問などはお問い合わせフォームより送信ください。 営業時間 平日(月~金曜日) 9:00~12:00 お問い合わせフォーム
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